昨日のお昼、コンビニにお弁当を買いに行こうとして歩いていたら、すれちがったイケメン風の青年から声をかけられた。
一瞬、誰?と思ったが、その彼は、きちんと自分から名を名乗った。
「先生、3年前にお世話になった O です。」
おぉ、よく見るとメガネの奥のクリクリした目は、ちっとも変わってない。
「母親同様、看護師目指して頑張ります!」
なんか、とてもカッコイイ青年に見えた(失礼!カッコイイです)。
そして彼が更に良かったことは、
先生に会った時に、まず、自分の名を名乗る
ということを、自然にしたことだ。
私は過去、何度、卒業生たちに苦しめられたことか、特に女子!
どこでも場所を考えずにデカイ声で近づいてくる。
スーパーやコンビニで出会うと最悪である。
「あぁ、まの先生だぁ、ちょー久しぶりー、なにやってんのぉ?」
ほかのお客さんたちが一斉に振り向く。なんか、恥ずかしい。
(買い物に決まってんだろ!)
と、思いながらも、頭脳を高速回転させる。
(誰だ、この子、ぜんぜんわからん。思い出さないと、感じ、悪くなるぞ)
「おぉ、大人になったなぁ、元気だったか?そっちこそ、今、何してんの?」
(とにかくヒントだ。彼女の話から、思い出すんだ。がんばれ、俺!)
グダグダトークで思い出す確率は、約半分。
残りの半分は残念なことになる。
「先生、私のこと、誰だか、わかってないでしょ。」
(キター、トドメのセリフ)
「ごめん、あの~、ここまで出かかってるんだけど…」
「いいよ、いいよ、気にしないで、じゃ、がんばってね。さよなら」
(良かった~、気を悪くしなかったみたいだぞ)
「おまえも、がんばれよ。また会おうな!」
「うん!」
ふぅ、あぶなかった。
買い物を済ませて店を出たとき、気づいた。
「誰だ、あの子は…」
そして彼女とは、その後、会っていない。
*これは本当にあった怖い話である。今から15年ほど前の…。
みんなが成長していく途中にかかわれる教員という職業は、超ブラックな仕事だけれど、なかなか捨てたもんじゃない。
が、しかし、これを読んでいる若者がいたとしたら、覚えておいてくれ。
これはとても大切なルールなんだぞ。
同窓会などで会った時は、まず、自分のことを説明してから会話に入る
「私、誰だかわかる?」などという意地悪な質問は決してしない
いいかみんな、このルールは、コミュニケ-ションを円滑に進める、人にも環境にも優しいルールなんだよ。
言葉には、どんな種類の言語にもルールがある。それは言語では「文法」と呼ばれるもので、多くの人が嫌がるものである。
私も国語・英語の文法は、やっぱり嫌いであった。
だって、説明を聴いたり本を読んだりするうちに、眠くなってくるからである。眠れないとき、文法の本を読んだこともあった。
しかし、私の授業では、文法はがっちり叩き込まれる。教えられた子たちが覚えていてくれないと、ちょっと悲しいが。
でもさすがにあれは覚えているだろう。
1年生でいきなり覚えさせられた、リズムで覚える英文法。
「♪ 一つの文に動詞一つ。be動詞か、一般動詞 ♫」
私は文法を教えるときは、当然日本語をつかう。そしてその文法用語を何度も繰り返して言わせる。
絶対に、英語はつかわない。
私の授業を見に来る先生方は、君たちにとって当たり前だった、
skit(即興会話)、discussion(議論)、そして成田中生が挑戦した debate(討議)
などの活動に、みな、目を見張った。
「どうしてこんなにみんな、英語を話せるんですか?」
「それは日本語を大切にしているからですよ。そして、英語の文法を、日本語でしっかり教えるからですよ。」
「えっ、日本語で文法をしっかり教えるんですか?」
「当たり前じゃないですか。日本語のルールと英語のルールがこんなに異なっているんですよ。その文の仕組みの違いをしっかりおしえなければ、英語が話せるようになんか、なりませんよ。」