人は、一所懸命話そうとする人の話は、一所懸命聞こうとするものです。それこそが「会話」というものです。
どんなにきれいに東京弁を話しても、中身がない人の話は、心にのこりません。
私は、生まれが鹿児島でしたから、子供の頃に里帰りで、鹿児島の祖父母の家に行くと、いつも外国語で話しかけられました。
「ほんに、よかにせどんが、たんねっきちょいもっしたど。」
こんな言葉を使う人は、現在ではほとんどいませんが、私が子供の頃の鹿児島にはたくさんいらっしゃって、里帰りするたびに、ご近所さんから話かけられましたが、大抵わかりませんでした。
完全に外国語です。
でも、その場の状況や、身振り手振りでなんとかコミュニケーションが取れました。
相手のことをわかろうと思ったら、言葉の意味はわからなくても、なんとか通じるものです。
こんな、鹿児島弁を話す人を、日本語のネイティブスピーカーと言わないのですか?
それぞれの言葉には、そこで生活してきた人たちの文化があるのです。
「まるで、ネイティブのように話せる」
こんなキャッチフレーズばかり使って、社会全体であおるものだから、日本人にとって英語は、どんどんハードルの高いものになってしまいます。
だから、「英語」と聞くだけでみんな緊張してしまうのです。
まとめると、英語とは、
1、考え方の異なる人間の話す言葉ではあるが、同じ熱い血の通った人間の話す
言葉。
2、自分の気持ちを伝えるための、道具の一つ。
“ Can you speak English ? ”
君は英語を話せますか?などという特殊能力ではなく、
“ Do you speak English ? ”
という、普段、話すかどうかの問題。
最後に、西中学校の前にある、「サンバレーインターナショナルスクール」
の園長さん横田綾子先生のお話を紹介します。
横田先生には、本埜中と玉造中時代の職場体験学習でお世話になりました。
毎年どの中学校でも、「民生委員さん」がたが学校訪問をされます。成田中学校にも2月にいらっしゃいました。毎年英語の授業をじっくり見られていかれる、今年73歳になられる方が、授業の様子を見て、私に色々なことを話してくださいました。
とても素敵なお話だったので、授業を止めて、子供たちに聞かせました。
「私は、若いころは船乗りをしていたけれども、海外をまわる時には、どうしても英語でコミュニケーションをとる必要が生じ、とにかく単語を必死につなぎました。そのうちに、だんだん外国の人とコミュニケーションがとれるようになりました。たとえ“ Broken English ”でも使い続ければ、そのうちにきちんと相手とコミュニケーションが取れるようになります。
“Practice makes perfect.”(習うより慣れろ)です。また、君たちが今、普通に使っている“What's your opinion?” というフレーズも、外国人と話すときには絶対に必要なもので、会議では必ず聞かれることだから、身につけた方がいいですよ。でも私は、一番大切なことは、日本語をきちんと話すことだと思います。」
その方は、最後に私にこうおっしゃいました。
「私は、ボケるのを防ぐために、毎朝NHKの英語ラジオ講座を聞いているんですよ。」
感動しました。
「老いる」というのは、「学ぶ」ということをやめたときから始まるのだと強く思いました。