1年ぼうず

眞野 義行

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みなさんは、ブータンという国をご存じでしょうか。

 ブータンは、インドと中国の間にある小さな国です。九州と同じくらいの大きさですが、人口は約70万人。ちなみに千葉県民の人口は約627万人。

  ちょっと古い資料ですが、2005年の国勢調査で、なんと国民の97%の人が「私は幸せ」と答えたのです。

 数年前に「世界で一番幸せな国」ということで日本でも話題になったので、ご存じの方も多いと思います。今から8年前の2011年に国王が来日されています。

 現在、中学校3年生で使われている教科書にも載っています。だから中3から高2までの学生達は知っています。次の英語のフレーズを。

 “ Not to be selfish, but to think about other people.”

「自分のことばかり考えないで、他の人のことも考えよう。」

 この考え方は、本当に国民に浸透していて、国のいたるところに「ゆずり合い」の精神があふれているそうです。

 また、ブータンは、近代化はするけれど西洋化はしないという方針をとっています。

 たとえば、海外旅行者には専用ガイドがつき、決められたルートでブータンの名所や食文化などを紹介し、ブータンの文化を世界に発信すると同時に、自分たちの文化も守ろうとしています。

 そしてここからが肝心。

 ブータンが考えた、近代化のために一番必要なこと。

 それは、英語を公用語扱いすることです。

 国語、歴史、仏教の授業以外は、すべて英語で授業が行われているのです。だから子供達はみな、普通に英語を話します。

 私は、ブータンのこの言語教育のすべてに賛成するわけではありませんが、見習うべきところはたくさんあります。

 日本も英語が小学校から正式教科になります。しかし、いまの日本のやり方では、日本人は一生英語を話せるようにはなりません。

 なぜなら相変わらず「形から入る」からです。

 文法ばかりやって話す訓練をしないから、話せない。だから「話す機会を増やそう」この考えは正しい。でもそこからがだめ。

 なぜ英検1級を目指す? なぜ TOEIC, TOEFL で高得点が必要?

 英語はたんなる言葉なんです。通じればいいんです。発音が悪くても、文法がおかしくても、通じればいいんです。

 自分の言いたいことが相手に伝わればいいんです。

 だいたい私たちだって、自分の日本語が相手に100%正しく伝わるなんてことは、ほとんどないんです。どんなに正しく日本語を話したとしても。

 逆に単語だけでも、気持ちが全部伝わる時がある。

 それが言葉なんです。

 以前にも言いました。私の生まれた鹿児島県の独特のイントネーションや方言をつかまえて、君の日本語は、3級とか、500点とか言われたら腹が立ちますよ。

 なぜ、相変わらず「級」や「点」にこだわるのでしょうか。

 確かに「級」や「点」は形に見えるはっきりした基準です。

 でもそれと、その人間が持つコミュニケーション能力とは、全く別物でしょう。

 ブータンの人たちは、「英語」は日常生活に使う言葉だから、資格や級が必要なものとして考えていません。だから、話せるのです。

 文科省が本当に日本人が英語を話せるようになってほしいのだったら、まず、すべての入試から英語をなくすことです。 

 英語は「教科」じゃないんです。人と人の心をつなぐ道具なんです。

 私は、成田の人たちに「教科」としての英語ではなく、みんなと「心をつなぐ」ための英語を使えるようになってほしい。

 英語を話す成田市民。それを日本中に広めたい。

 あまりにも空想過ぎて笑われるかもしれませんが、本気で思っています。

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 今日は13:00から郷部橋たもとの交差点で、演説をしていました。すると、若いお母さんと、超かわいいお子さん「たいよう君」が現れました。

 たまたま車で通りかかったら、私がいることに気づき、会いに来てくれました。すやすや眠っていた「たいよう君」は、私に起こされてしまいましたが、不機嫌にならず一緒に写真に写ってくれました。

 すると今度は、車(写真右上)の中から元気な声で「先生、がんばって!」と励ましの声が。私が指導していたバレー部をいつも元気に、応援してくださっている方でした。 

 しかしこれだけでは終わりません。ひとりの男性がやってきて

『○○から先生の話を聞いて、今日のお昼に、ここにいると知ったので来ました。英語の教科係だったのですが』「お前、たるんでるから」と言って、ひどい成績つけられたんですよ。』

「おっ、とうとうクレームか」

 と思ったら、「先生、これ」と言って冷えたお茶を差し出してくれたのです。

 のどにしみました。

「じゃぁ、先生、がんばって!」と言って去って行きました。

 えっ、そのため? 私を励ますためだけにやってきてくれたのです。

 はっきり言ってしまいますが、私は、皆さんがこんなに感動的なお返しをしてくれるほどちゃんとした教員ではありませんでした。破天荒すぎました。

 そして夜。JR東口で演説をしようとしていると、今日も7人の保護者のかた(お父さん2人)や元同僚(もう教員を退職しています)、そして生まれたての子どもと2歳になる女の子を連れた教え子のお母さん(2年前に結婚の主賓スピーチをやらせてもらいました)、そしてたくさんの卒業生が集まってくれました(まぁ、ほとんどがインスタ目当て、または話のネタづくり目的ですが)。

 さらに、15年以上も前の木刈中時代のバレー部の教え子も声をかけてくれたり、地域の知り合いのママさんバレーをやられている方からも、励ましのお言葉を頂きました。

 そしたらまた一人。今日、就職活動で内定をもらってきたという若者が。

「おめでとう!よかったね。でも早いな、内定」

「今は早いんです。でも先生、先生に英語を習ってよかったと思います。」

 ひとしきり話をして去って行ったと思ったら、「差し入れです」と言って、京成駅前の「たこ焼き」をわざわざ買って戻ってきてくれたのです。

 他にも、今日の午前中に30年前の教え子のお母さんからお電話を頂きました。新聞のチラシに気づいて、びっくりしてお電話くれたのです。30年ぶりなのに全く変わらずお元気で、びっくりしました。もう72歳になられると言うことでした。

 毎日、毎日、とても新鮮で不思議で感動的な出会いが起こります。

 みなさん、本当にありがとうございました!

 ところで私のよく知っている別の候補の方が元気に名前の連呼をされていました。のんきな私は、遠くからでしたが、その方の名前を呼んで必死に手を振りました。お互いにがんばりましょう(と言っても、新人の私とは違いますが)という意味で手を振ったら「道をはさんだ遠くからの応援ありがとうございます!」と大きな勘違いのままさっていかれました。まっ、いいか。

 あと2日。がんばります。

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