1年ぼうず

眞野 義行

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  卒業生から今日届いたメールを紹介します。

 木刈中第1期バレー部の K です。小ちゃかったキャプテンですね。ユニフォームの使い回しができなくてすみませんでした。ブログにもあった様に自己紹介から入っておきます成田市議会議員にご当選との事、おめでとうございます!!びっくりしましたが、先生にピッタリという印象がじわじわ。先生が歴史を刻んだ成田で各学校の先生や生徒さんの支援も沢山あるでしょう、更なるご活躍に期待しています。

 大学卒業後、私は16時間時差のあるサンフランシスコに移住し根を張ってしまっています。木刈の友達とは帰省の際に会うぐらいになってしまいましたが、次回みんなに会うときは、真野先生の話で盛り上がる?ことでしょうね。笑

 英語に自信を持ってもらう活動も含むとの事、私にとっても英語は、結局第二言語ではありますが、一応、日々、要英語なので何か私で役に立つことがあればお知らせ下さい。

 頑張れ真野先生!  

 K 友香子

追伸: ブログに先生のお得意な「絵」があれば面白いなぁと思うのですが、公的の場には難しいのですかね。「バレーぼうず」での先生の手描きの絵が、試合に負けて怒られた後でも楽しみでした〜!

 ※「バレーぼうず」とは、成田西中時代の最後の2年間と、木刈中時代の3年間書いていた部活動通信です。バレー部通信を出そうと思ったときに迷わず出た名前が「バレーぼうず」でした。この頃は、学級通信・部活動通信・英プリの3種類を発行していました。「3種の神器」と呼ばれていました(冗談です)。我ながらよくこんなことができたものだなぁ、と驚きます。まだ30歳前後でしたから、ははは。

 それにしても、またまた感動しました。

 彼女は実に頭のスマートな子で、相手のスパイクコースを信じられないくらいによく読んで、ほとんど拾ってしまいました。未経験者とは思えないくらいのすばらしい感覚を持った子でした。ある高校に連れて行ったときに、その顧問の先生から「ボールが勝手に手の方に行くみたい」と言われたのを今でも覚えています。

 でも私が一番印象に残っているのは、キャンプに行ったときのことです。当時はキャンプや修学旅行先でも朝練をやっていました。朝食時間7:00までの間に、軽く40分程度ランニングをやったり、レシーブをしたりなど、とにかくバレーボールを触っていることに意義があるような感じで、体を動かしていました。

 またその頃の教師は、色々な生徒指導に備えて「若手は廊下に寝る」というのが習慣でした。見張りのはずの私は、廊下でグースカ寝てしまい意識不明に。すると耳元で優しく「先生、朝ですよ。起きてください」という天使のような目覚まし声が。それが彼女でした。

 何かきっかけがあると、一気に色々なことを思い出すものです。

 ありがとう、友香子。アメリカから祝福メッセージが届くとは思っていませんでした。離れてみて改めて「教師ってブラックだけど、うれしい仕事だな」と思いました。

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