<川崎児童殺傷事件>
この事件について、どうコメントして良いのかわからず、なかなか書き出せません。5月8日に起きた、車の不注意運転による児童死亡事件も、今回の無差別殺傷事件も、事情が異なるとは言え、幼い命が失われたことに変わりはなく、遺族にとっての思いは変わりません。突然、何の落ち度もなく、自分の子どもの命が消えたのですから。
「今日と同じ明日が来ない」
この悲しみや苦しみは、その人にしかわかりません。もちろん、わからないから関係ないという意味ではありません。
学校関係者、マスコミ、そして評論家のかた方が必死になって「どうしたら防げるのか」ということについて話していますが、はっきり言って、防ぐ方法はありません。これはもう、方法がないんです。それが、ただただ悔しい。
亡くなられた児童と保護者の方には、心よりご冥福をお祈りします。そして、その場に居あわせてけがをした子ども達や保護者の、心のケアをお願いしたいです。もちろん、親や学校が最大限の注意をして、子ども達の心の状態を見ていってくれると思います。でも本当に、このような事件の渦中にいた人たち、特に子どもたちの受ける精神的なショックは、大きなトラウマとなって残ります。本当に突然フラッシュバックします。
この犯人は51年間、どう生きてきたのか詳細はわかりませんが、たとえどんな境遇にいて、どんなつらい人生を送ってきたとしても「命」を奪う権利は誰にもありません。それが自分の命もそうだろうし、まして他人の命なんて。
今日のTVで落語家の立川志らくさん(55)が『この事件を見てる日本中の子供を持った親御さんは、どうやって子供を守ったらいいと、ただただ恐怖なだけで防ぎようがない。いつどこで何が起こるかわからない、と話し、死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。何で弱い子供のところに飛び込んでんだって。信じられないですね』と語りました。
この意見に対して、社会福祉士で首都圏で生活困窮者支援を行うソーシャルワーカーとして著名な活動をしている藤田孝典(37)さんが「死にたいなら一人で死ぬべき の危険性 凶行を繰り返させないために」という声明文を出しました。
するとこの発言がSNS上で炎上しました。
人には色々な考えがあって、色々な観点から議論することはとても大切なことです。だから、色々な意見があるべきです。その意見に対して、炎上させるような表現はよくありません。自分の意見と異なる意見に対して、攻撃的な表現はダメです。
感情論と理想論の戦いでは、結論は出ません。
しかし一つ言えることは、何の関係もなく、いつもと同じ今日を迎えた人の、明日を奪う権利は誰にもありません。人を巻き込んで、挙げ句の果てに自殺では、亡くなられた人とその家族は浮かばれません。
「命」はかけがえのない大切なものです。自分の命も、他人の命も、そして動植物の命も!