1年ぼうず

眞野 義行

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<一般質問準備:国際都市とは2>

私が成田市議会検索システムを利用して、一般質問および委員会での発言に絞って検索をかけたところ、合計434件がヒットしました。

検索できる最古のものは今から33年前の1989年。それ以前については検索できないので、残念ながら本市で初めてこの言葉が登場したのがいつかは分かりませんでした。

さてその1989年度は「国際都市」という言葉の当たり年で過去最多の36回。
そのいくつかを紹介させていただきます。

1989年3月定例会  長谷川市長
このジャパンビレッジは、すぐれた日本の伝統、文化を内外に紹介することをメーンテーマとするものでありまして、まさに国際都市成田にふさわしいプロジェクトであります。
国際都市を標榜する本市の街づくりは、おおむね順調に進んでいると考えております。

1996年 6月 定例会   小川市長 所信表明
特に成田の子供たちは国際都市にふさわしく世界に目を向けた地球スケールの人材に育てたいというのが私の願いであります。

2000年 3月 定例会  市長 小川国彦
議員ご提案の職員を友好都市や姉妹都市へ派遣し研修させることにつきましては、国際都市を標榜する本市にとりましては、職員の資質向上と能力開発を図る上でも、有効な方法の1つと考えますが、当面は、現在行っております短期の行政交流を充実してまいりたいと考えておりますので、ご理解いただきたいと存じます。

1999年 6月 定例会 成田市議会議員 小泉一成(現小泉市長)
国際都市として国際会議場やアメ横通りのような世界のマーケット、外国の学校誘致などの積極的施策、ビジョンを掲げるべきと考えます」
「現在の成田市の施策は、港まちとして空港を生かしきれていない、国際化という視点からの政策が欠けていると思われます。したがって、国際都市とうたってはいるものの、実感に貧しい」
「外国の学校、大学誘致の必要性は、成田空港があって治安がよいこと、外国の学校であれば、必ず成田及び周辺地域に居を構えること、地域の学生と国際交流事業がしやすいこと、若者がふえ成田市及び周辺地域から先進文化や活気が生まれる可能性があることなどです。成田市は空の港まちです。港まちは異国情緒があるものです。ぜひ港まちとして、外国の学校誘致を計画していただきたいと思います」

つづく