<はるかのひまわり絆プロジェクト>
今日は「はるかのひまわり絆プロジェクト」について紹介します。
これは、阪神大震災由来のひまわりの種を育て、採取した種を配布する過程で由来を伝え、災害の悲惨さと共に命の尊さを再考する機会とする事で、「人の尊厳」と「人との関わりの大切さ」を知る、感性豊かな地域社会を醸成する事を目的とするプロジェクトです。
今年1月16日に皇居で開かれた「歌会始の儀」で、当時の天皇陛下は、阪神・淡路大震災からの復興の象徴「はるかのひまわり」への思いを詠まれました。
14年前、1人の少女が意を決して皇后さまに手渡したヒマワリの種。両陛下は御所の庭にまき、花から種を取って毎年育てられたのです。退位を控え、最後の出席となった歌会始で被災者に心を寄せられたのです。
『贈られし ひまはりの種は 生え揃ひ 葉を広げゆく 初夏の光に』
はるかちゃんのひまわり絆プロジェクトの詳細をHPから抜粋して紹介します。
【平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました。木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。
小学6年加藤はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後でした。
震災から半年後、かつて、はるかちゃんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く太陽に向って咲いていました。そのひまわりは、生前はるかちゃんが飼っていたカナリヤにあげていたひまわりの種が花を咲かせたものでした。
お母さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。
『はるかのひまわり』
何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花はたくさんの人を励まし勇気づけました。
阪神・淡路大震災から半年後、地域の住民らが、各地で種をまく活動を始めました。歌や絵本などを通じて広く知られ、復興の象徴として新潟県中越地震や東日本大震災など国内外の被災地にも贈られています。
興味のある方はHPにアクセスしてみてください。