<来年の保証を誰がしてくれるのだろうか>
「感染を防止する極めて大事な時期でもある。国民の皆さまにはご不便をおかけするが、帰省や旅行を極力避けていただき、不要不急の外出をできるだけ控えていただきたくよう、政府としてもお願いしたい」
「今、最大級、災害級の危機を迎えている。お盆休みの帰省や旅行については、延期や中止などを『考えてください』ではなく、今年はもうあきらめていただきたい」
お二方の、虚ろな目で繰り返される、心のこもらないメッセージ。
私は鹿児島に帰りたいです。
先週、鹿児島の親戚の叔父さんと話しました。
鹿児島に残していた田んぼの整理と、叔母さんの様子伺いです。
叔父さんは 87 歳ですが、今も驚くほどお元気です。
お願いしたことをどんどん処理してくれます。
しかし、84 歳になる奥さんはこの2年間で認知症が進んでしまっています。
2019年秋、鹿児島の墓じまいのために帰省した時には、まだしっかりしていたのですが(おじさんの話だと、その時も兆候が現れていたそうです)。
このお二人には、私の両親が存命中も、他界後も、言葉にならないほどお世話になっています。
だから帰らなければならないのです。
でも帰りません。万が一、自分が感染源になったら責任が取れませんから。
私は自分の判断で行動自粛をします。
国のトップの人たちは、自分達に関心があることはどんどん進めるけれども、そうでないことは「お願い」という圧力をかけてくる。
申し訳ないけれども、このお二方の心のこもらないメッセージは、どうしても心にスッと入ってきません。
『お盆休みの帰省は、今年はもうあきらめていただきたい』
いったい誰が、来年の保証をしてくれるのだろうか。