1年ぼうず

眞野 義行

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<これはじめなのか?>

実はこの記事は昨日載せようと思ったものです。でもまず、もう1日様子を見てから掲載しようと思いました。それはまだ事件の全貌がわかっていないからです。

しかし、教育委員会と学校の対応があまりにひどいので、載せます。

『小5から現金「いじめ」名古屋市教委、重大事態と認定』

10月8日に発覚した現金恐喝事件が、ようやく今日、市の教育委員会によっていじめ防止対策推進法で規定されている「重大事態」と認定された。

10月11日には、県警が同級生と保護者を厳重注意し、警察のよる指導はおわったということだそうだが、現時点で弁償が済んでいないそうだ。

男児と同級生は現在、学校には通学しているということだが、同級生は男児に謝罪しただけで、被害者の保護者は納得していないとのこと。

表面化できない何らかの事情があるのかもしれないし、加害者が小学5年男子児童6人によって起こされたものだという配慮があるからかもしれないが、この「重大事態」は「いじめ」ではない。

同級生6人で一人の男児に「お金を持ってこないと遊ばない」「お金をちょうだい」などと要求する行為は、恐喝である。

最近の街のチンピラによる恐喝も、決して相手を脅さない。

「お金かしてくれる?」こんな感じである。複数人で金品を要求したら、恐喝である。

一般常識から考えて、10万~20万の現金を連続して一人の人間からとり続けることが、どうして「いじめ」になるのか?

メディアもこの事件を「いじめ」と報道している。

 これは犯罪である。

最近、大人の犯罪に巻き込まれる未成年者の報道をよく耳にするが、未成年だからと言って、あまりにも守られすぎなのではないか、と思うことが増えてきた。

守られすぎは、自己責任の回避につながり、判断の甘さを生む。

それは加害者も被害者も。

ダメなことはダメである。

法律で守られているからと言って、何でもありなのではないのだ。

名古屋市教育委員会は2日、男児に対する要求行為について「いじめと判断している」と明らかにし、首席指導主事は「小学校でいじめが起き、関係各所にご迷惑をおかけしたことをおわびします」と陳謝した。

そして今日、校長が学年集会を開き「話し合いをしたり謝ったりしていますが、まだ解決していません」などと説明したそうだ。

市の教育委員会は、10月には「いじめ」を把握していたが、2日にメディアで報道されるまで、「解決済み」と判断し、積極的な対応をしていなかった。

 真実がわからない段階であまり多くを語ることは危険だし、6人の児童を厳しく断罪するつもりはまったくないが、ただ一つ言えることは、教育委員会がこれを「いじめ」と言ってはいけないということだ。

社会でおきたら「犯罪」と呼ばれるものが、学校でおきたら「いじめ」になるのは、おかしいと思う。

教育界がこういう認識では、いじめはなくならない。