1年ぼうず

眞野 義行

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 今日も前方不注意の車による、親子を巻き込んだ事故が起きました。これだけニュースに取り上げられていてなお、不注意運転は起きるのですか。でもそれは、私の身に起きないとは言い切れないことです。

 最近私は、行動のほとんどを自転車にしているので、車とは違った目線で道路を走っています。特に交差点を渡るときは、とても注意しています。また、脇道から車が出そうな気配の時は、スピードを落として、運転手が私に気づいているかどうかを確認してから渡ります。

 昨日も自転車で走っていたら、コンビニの駐車場から出た車が、右折しようとして車道ばかり見ていたので、一旦止まりました。するとその運転手は私の存在に全く気づかず、ドンという感じで車道に出て、走り去りました。あれは危なかったです。
 この逆で、私は車を運転中に、ヒヤリとしたことがあります。自転車がスマホをいじっていて全く前を見ておらず、私にとってその自転車が死角の位置にいて接触しそうになったのです。びっくりした私をよそに、そのスマホいじりの自転車少年は、何事もなかったように走り去りました。

命の危険」というものはいたるところにあり、私たちは、本当に「紙一重の幸運」の中で生きていると感じます。

 ところで、昨年発生した交通事故の死者は、3,532人です(交通事故死者は、事故発生から24時間以内に死亡した人のみです。入院治療中に命を落とした方は、人数に入りません。したがって、実際には交通事故が原因で亡くなられた方は、もっと多いことになります)。警察庁の分析では、約半数が歩行中および自転車乗車中だそうです。

 この交通事故の死者は、今から約40年前の1970年がピークで、16,765人もの方が命を落とされたのです。1日に46人もの方が交通事故で命を落としていたという信じられないデータがあります。

 それ以降、歴代の国家公安委員会委員長の先導の元、劇的に交通事故死の減少が見られ、今日にいたっています。「シートベルト着用」「飲酒運転厳罰化」「危険運転致死傷罪」などの、国をあげての取り組みが効果を上げています。

 しかし「命」の問題は、たとえその数が「」になったとしても、家族にとっては唯一無二のかけがえのない「1」なのです。その命を守るための努力は、車の運転手ならびに、自転車の運転者もしなければなりません。

 私もこれまでの教員生活の中で、教え子を一人、交通事故で失い、その葬儀に参列したことがあります。また、教え子の5歳の子どもが交通事故で命を落とす、という経験もしました。

 これ以上書く気にはなりませんが、「かわいそう」とか「ひどい」などの言葉は、本当につらいときには、まったく意味をなさない言葉だと、自分の経験を含めても、思いました。

  昨日と同じ明日がくる幸せは、小さな奇跡の連続で成り立っているのです。その幸せが続くような努力を一人一人が積み重ねなければならない。改めて強く思いました。