1年ぼうず

眞野 義行

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タブレットは文鎮ではない>

今朝もきれいに晴れ渡った朝の空、登校指導をしながら「まもなく児童生徒に配布されるタブレット端末」のことを考えていました。

昨日19日の朝日新聞に次のような記事が掲載されていました。そのほんの一部を紹介します。

『学校も教育委員会も、ビジョンがないまま端末を配備した。何のための道具かを第1に考えてほしい。どんな時も子どもと学校をつなぐツールであり、家でも学校でも子ども自身が使いこなせる学びの道具にしていく必要がある。リスクを恐れすぎれば、文鎮化してしまう。』

「文鎮化」とは、デジタル機器が作動せず、単なる置物になってしまうことを揶揄する表現です。

「リスク」とは子どもが端末を学習以外に使って、依存症になったり、犯罪等に巻き込まれることです。

国の令和2年度補正予算案で、総額約 2,292 億円が計上されたGIGAスクール構想。

日本中の児童・生徒に1人4.5万円を上限とするタブレット端末の配布。

コロナ渦で、国、自治体そして国民に財政的なゆとりがなくなっている今、これだけの予算をつぎ込んで整備しているICT環境。

これが、偉大なる負の遺産「文鎮」になってしまったのでは、本当にもったいない。

ICT教育が成功している自治体は、教育委員会が、担当者だけでなく全庁をあげて「本気」になって取り組んでいる自治体です。

職員が多忙なことはよくわかっています。しかし…。

私は、特にICT利活用については、これまでにもかなり教育委員会に要望と提案をしてきましたが、引き続き要望していきます。

タブレットは素晴らしい可能性を秘めた道具です。決して文鎮ではありません。

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